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最高裁判所第二小法廷 昭和47年(行ツ)99号 判決 1974年3月01日

兵庫県西宮市名次町一三番地二七号

上告人

平林真一

兵庫県西宮市江上町三丁目三五番地

被上告人

西宮税務署長

惣川豊

右当事者間の大阪高等裁判所昭和四三年(行コ)第二三号行政処分取消請求事件について、同裁判所が昭和四七年七月二六日言い渡した判決に対し、上告人から全部破棄を求める旨の上告の申立があつた。よつて、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告人の上告理由第一点について。

記録に徴すれば、所論指摘の上告人の主張は、本件についての単なる事情を述べたにすぎないものと認められるから、これに対する判断を示さなかつたからといつて、判断遺脱の違法をきたすものではない。論旨は採用することができない。

同第二点について。

原判決(その引用する第一審判決を含む。以下同じ。)の確定するところによれば、原判示クラブは、上告人が国際的事件に堪能な弁護士であつたために本件補償金請求の事務処理を上告人に委任し、上告人も弁護士としての知識と経験に基づいて右事務を処理したものであり、クラブから上告人に支払われた本件四四〇万円余は、上告人の右委任事務処理についての成功報酬及び費用としての性質を有するというのであるから、上告人の右収入がその弁護士業務から生じた事業所得に当たることは明らかであつて、これと同旨の原審の判断は正当である。クラブと上告人との間に所論のいわゆるノーキユアー・ノーペイの約定があつたことはなん右判断を左右するものではない。原判決に所論の違法はなく、論旨は、ひつきよう、原審の認定にそわない事実もしくは独自の見解に立脚して原判決を攻撃するものにすぎず、採用することができない。

同第三点ないし第五点について。

所論の各点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠に照らして肯認するに足り、原判決に所論の違法はない(所論のうち違憲をいう部分は、その実質において単なる法令違背の主張に帰する)。論旨はすべて採用することができない。

よつて、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 岡原昌男 裁判官 小川信雄 裁判官 大塚喜一郎 裁判官 吉田豊)

(昭和四七年(行ツ)第九九号 上告人 平林真一)

上告人の上告理由

第一点

被控訴人西宮税務署長が更正決定により、金四万八、一八五円を不当に加重して課税した点につき第一審及び原審は倶に何等判断をしていない。これは上告人の主張事実につき判断を遺脱した違法がある。

上告人は昭和四一年四月一五日付の「原告第六準備書面」を以て(一)被上告人西宮税務署長が更正した上告人の昭和三四年度所得金額二二七万二、九二一円に対する所得税額は金五〇万四八〇円である点、(二)上告人は同年分に対し既に所得税金一五万九、三一五円を納税済みであるから、不足税額金三四万一、一六五円を追加納税すれば過不足なきに抱らず、(三)被上告人は昭和三七年二月二八日付督促状を以て更正決定による不足額分として金三八万九、三五〇円の納入を催告して来たので、上告人は同日これを一応納税したのである(甲第八号証による国税領収書を提出)、(四)従つて被上告人は其の差額金四万八、一八五円を不当に加重して課税した点等を主張した。然るにこれらの点につき第一審、原審は共に何等の判断を下さず、これを全く遺脱しているのは不当であるから原判決は破棄を免れないと信じます。

第二点

一、本件所得が弁護士の業務から生ずる通常所得であるか、或いはまた一時所得であるかの点につき原審は法令の解釈を誤つたか、或いは法令を不当に適用した違背がある。

此の点につき第一、二審共に、凡そ弁護士の行う業務(仕事、事務)より生ずる収入は、弁護士の肩書に重きを置き、概括的に一切合切弁護士の業務の範疇に属するものと速断し、収入の発生原因、態様等を考覈し以てこれが通常の所得か或いは一時の所得であるかの点につき理由を判示していない。しかし先ず弁護士法(昭和二四年法律第二〇五号)第三条を見ると、弁護士の業務は、当事者その他関係人の依頼又は官公署の委嘱によつて、訴訟事件、非訟事件及び審査請求、異議申立て、再審査請求等行政庁に対する不服申立事件に関する行為その他一般の法律事務を行うにあることがわかる。而して上告人が第一審で主張(昭和四〇年八月三一日、第三準備書面)したとおり、弁護士と雖も社会人であるから、その取扱う仕事が一から十迄すべて弁護士法本来の業務に属するものとは言えない。即ち特種の人的事情(親戚、友人の義理人情関係等)により手数料も受けず、費用を全部自弁して行うような場合も間間あることは社会の通念に照し自明の理であります。斯る場合最終段階において依頼者から謝礼を受けたとして、弁護士であることからこの収入は業務上の収入だとして、所謂丼勘定式に課税されるのなら、何が故に所得税法上「一時所得」を認めたのかその存在理由が不明確不可解となる。同時に右に対応する民法第百七二条に規定される弁護士公証人の職場に関する消滅時効に照して考えても、弁護士の行う業務に対する時効は、その正規本来の業務上債権に対する場合と、そうでないその他の債権に対する場合とでは截然たる規矩準繩が示されている事に気付くであろう。この点につき、甲第三号証による大審院判決につきこれを観るも、同じく弁護士が取扱つた事件であつても、弁護士本来の業務と、そうでない業務とでは時効の適用を全然異にすることを知るに足る(明治三九年(オ)第二号、同四〇年五月一四日民事一部)。

即ち弁護士の職務に関する債権であるから十把一からげにすべて二年の時効に羅るものでないのと同じ理論である。

而して、他面所得税法上の沿革につき稽るも、現行所得税法第三四条(旧法第九条第一項九号)に所謂一時所得とは、立法沿革上事業所得中の臨時収入を前提としたものであることは、昭和一五年所得税法(法第二四号)第十条に「分類所得税ハ左ノ所得ニ付之ヲ賦課ス」として、その第三、事業所得乙種に「医師、弁護士ノ所得」と規定されているが、同法第一一条では「左の各号ニ該当する所得ニハ分類所得税ヲ課セズ」として、その六号に「乙種の事業所得中営利ヲ目的トスル継続的行為ヨリ生ジタルニ非ザル一時ノ所得」と規定してある(昭和四〇年八月三一日付第三準備書面に詳述)。故に弁護士であるからその取扱いに係る仕事は業務上の収入だと押えるべきでなく、同じく事業上の収入であるにしても、沿革上明らかであるとおり、普通一般の収入と、臨時の収入とを別個の範疇に分けて課税標準を定めたものと窺うに足るのであります。若し左様に理解しないとすれば、一時所得は結果的に見て競馬、競輪等の如き射幸的な項目のみに重点を置かざるを得ないこととなり、業務上における正規の継続的収入と、例外的な一時の、即ち臨時の収入とを区別することは極めて稀有なものとなり、斯くの如きは決して法律上事業上倶に一時所得の公平妥当な解釈でないと確信する。

二、上告人は、本件収入が所謂ノーキユーア・ノーペイ(NO CURE NO PAY)即ち「成功しない場合は一文も払わない」に由来する約束の収入であると主張し、右契約の法的性格の由来は、そもそも海難救助に因る救援救助の仕事に対し救助料の支払を約する請負契約である。従つてノーキユーア・ノーペイは仕事の結果に対して給与するものであり、唯単に労務に従事した為に給与する一般的報酬とは全く異なる性質を有するものであるとして加藤正治、田中誠二博士らの著書(甲第二二号、第二三号各証・昭和四四年一〇月三一日付控訴人第二準備書面御参照)を引用した。これに対し原審は「控訴人とクラブ間の契約が弁護士法上有効であるかどうかは、その受領した収入が控訴人の事業所得であるか」との問題とは無関係であると判示されている。しかし右判断は所得の原因である的をすり替えた誤認に因るものである。単刀直入に言えば、右収入が業務上の所得であるとして、果してそれが課税上一時所得であるか、或いはまた正規業務上の所得であるかの問題に対し、原審は只単に上告人が弁護士であるの一事にこだわり、果してこれが法律上一時所得であるか否かの点については毫も判断を下していない。而してこの重要な点を判断するに当つては、原審がノーキユーア・ノーペイを認めた以上その法性を明定した上で、当該収入の発生原因、即ち上告人は戦争前よりクラブの名誉(無報酬)顧問であり(甲第十号証・一一号証)、敵国性を欠いて戦災補償を受けるのに頗る困難な地位にあつたクラブに対し、終戦直後連合軍司令部と交渉の上クラブの敵国性を承認せしめ以てクラブの本件補償適格性を確立せしめ(甲第五号証の一及び二)、しかもこれらの難務はすべて名誉的に無報酬で行つた点、更には本件はクラブが上告人の専門的名声を聴き職業的にはじめて上告人の門を潜つたのではなく、長年に及ぶ名誉的顧問関係に期待し、上告人としても万一不成項の場合には全損に帰することを覚悟の上で数年に亘り二百万円にも上る私財を支出し、(甲第十号証)漸く本件を最後的成功に導いた諸事情を勘案し以て弁護士法による職務上の範囲を検審し、延いてはこれが税法上職務上正規の所得であるか、または臨時の一時所得であるか等課税上の解釈に及ぼす効果につき判断を下すべきであるにも抱らず、唯漫然と弁護士として行つた業務上の所得に過ぎないと極め付けられたのは、判断に理由を付せざる違法がある。

三、戦前の所得税法(昭和一五年法二四号)第一一条一項六号において「乙種ノ事業所得中営利ヲ目的トスル継続的行為ヨリ生ジタルニ非ザル一時ノ所得」には分類所得税を課さないと規定されている事は前述のとおりであるが、これは大正四年二月一五日行政裁判所大三九八号-一〇〇号の判決で「所得税法ニ所謂営利ニ属セザル一時ノ所得トハ、営利ノ事業ニ属サズ臨時ニ生ズル所得ヲ云フ」と明白にされたのを踏襲したものである。而して旧所得税法(昭和二二年法二七号)第九条一項九号において「前各号以外の所得で営利を目的とする継続的行為から生じた所得以外の一時の所得のうち労務その他の役務の対価たる性質を有しないもの(以下一時所得という)」云々と規定し、更に現行所得税法(昭和四〇年法三三号)第三四条において「一時所得とは……以外の所得のうち、営利を目的とする継続的行為から生じた所得以外の一時の所得で労務その他の役務又は資産の譲渡の対価としての性質を有しないものをいう」と規定している。

そこで、原審が認定したノーキユーア・ノーペイ(結果なければ一文も払わない)の法性は、請負契約であつて民法第六三二条に「請負ハ当事者の一方カ或仕事ヲ完成スルコトヲ約シ相手方カ其仕事ノ結果ニ対シテ之ニ報酬ヲ与フルコトヲ約スルニ因リテ其効力ヲ生ス」と規定している。由是観之、請負の対価は仕事の完成にあるのであつて、労務その他役務の対価ではない。即ち相手方は仕事の結果に対して当事者の一方に報酬を与えるのであつて、労務又は役務そのものに対して報酬を与えるのではない。此の点は請負と其の他の契約殊に雇傭との間に存する重要な差異である。果して然らば、原審は一面クラブと上告人間の契約は、ノーキユーア・ノーペイである事実を認定しながら、他面本件の所得は弁護士業務から生じた事業所得であると断定し、「上告人とクラブ間の契約が弁護士法上有効であるかどうかは、その受領した収入が控訴人の事業所得であるかどうかの判断とは直接の関係はない」と判示している。しかし、原審の判断すべき点は、上告人が受領した収入が事業所得であるのならば、果して当該所得が労務その他の役務の対価としての性質を有しない一時の所得であるかどうかを判示すべきであるにも抱らず、此の重要な点を超距し、顧みて他を云うのは、その理由に不備又は齟齬があると信じます。

四、弁護士の職務の範囲、ノーキユーア・ノーペイ所謂成功報酬等に関する法令上の沿革、学説、判例等については控訴人第二準備書面(昭和四四年一〇月三一日)、第四準備書面(昭和四五年一〇月八日)及び第七準備書面(被控訴人昭和四五年一月一六日準備書面を駁したもの)等を以て詳述してありますので茲にこれを重複繰返えす煩を避けました。何卒切に御参照を乞います。

第三点

税法上の信義則につき、原審が引用する第一審判決は、

「協議団神戸支部長は原告に一時所得としてはどうかという意見を述べたので、原告は被告に対しクラブからの収入を一時所得として申告したところ、その直後西宮税務署直税課長から呼出しがあり、右収入を一時所得として申告した理由の説明を求められたので、右課長にも前記同様の説明をし、右課長の求めに応じて右収入を一時所得として申告した理由を記載した上申書を提出したことが認められ、他に右認定を左右するに足る証拠はない。そして被告は昭和三七年一月一三日付をもつて原告の右所得を一時所得ではなく事業所得であると認定して本件更正決定をしたことは当事者間に争いがない。ところで……右認定の事実関係からは被告において原告に対し原告のクラブからの収入が一時所得とみるのが正当であるということを表明したことは認められず、また原告の説明を聞いて大阪国税局協議団神戸支部長が一時所得として申告すればよいという意見を述べ原告がそれを信じたとしても、右認定事実からは原告はその納税相談において客観的な事実関係の全体について完全に説明したことは認め難いから、原告の右主張を採用することはできない。」と認定している。

しかし、右認定は経験則を専恣に適用したもので違法である。税法律は信義誠実の原則に従いこれを適用し、かつ、遵守されねばならない点は現今殆ど例外なく先進諸国が採用している。而して日本における税法の特徴は納税義務者の側でこの原則に反するような行為のあつた場合には、そのいずれもが納税義務者に甚しく不利益なものばかりであり、これは各税法の罰則の規定や各種優遇規定の適用排除に関する規定をみれば明白である。これに反して、税務官庁が納税義務者に対して背信行為をした場合については全然規定されていない。そのことは、税務行政の実際において、納税義務者が税務官庁の回答、指示、指導等の言動を信頼して税務上の処理をしても、斯る言動はいつでも一方的に撤回することが認められ、その結果納税義務者に発生する信頼に基づく不利益は、納税義務者自らこれを負担せねばならぬことにならざるをえない。わが国の裁判所は、信義則を法の根底をなす正義の理念より当然生ずる法則であるとして、これを租税事件に適用しているが(東京地裁・昭四〇・五・二六判決・三八(行)四四・例集六62の三・固定資産税確認請求事件)「自己の過去の言動に反する主張をすることにより、その過去の言動を信頼した相手方の利益を害することの許されないことは、これを反禁言の法理と呼ぶか信義誠実の原則と呼ぶかはともかく、法の根底をなす正義の理念より当然生ずる法則であつて、国家、公共団体もまた基本的には国民個人と同様に法の支配に服すべきものとする建前をとるわが憲法の下においては、いわゆる公法の分野においても、この原則の適用を否定すべき理由はないものといわなければならず、……この事は税法上の分野においても同様である」として、非課税扱いにすることをきめた後約八年経過後右物件につき過去五年分の固定資産税を遡及賦課したのを無効として取消したのである。

(憲一四条・一五条・国公八二条・九六条―御参照)。

上告人が第一審、原審で主張した事実は、甲第六号証ノ一(昭和三五年三月一五日付上告人が被上告人に宛てた一時所得に関する上申書)を以て開陳したとおりであつて、何等これに附加すべき点はない。而して右開陳の内容は、上告人においてそれよりに大阪国税局協議団神戸支部に開陳した要領と毫も異つた点はない。納税者上告人の当該収入が一時所得であるか否かを判断する標準要項としては、右上申書(甲第六号証)記載の趣旨で必要且つ充分であるし、またその故にこそ提出後二ケ年余りに亘り無為(不作為)に経過せしめ黙認の状態に放置しておきながら、何の警告もなしに一時所得性を否認、更正処分を行うが如きは、明らかに善意の納税義務者の正当な信頼を裏切つたものである。而して被告国側にこのような信義則違反があれば、たとえ該処分が実定租税法上は適法なものであつても、信義則違反の故に違法な取消しうる処分となるものと解すべきである(甲第六号証、甲第二五号証による独乙国及び日本における税法権威者の説並びに判例等御参照を乞います)。

然るに第一審はこの点につき「右認定事実からは原告はその納税相談において客観的な事実関係の全体については完全に説明したとは認め難い」と判示し、原審も亦これを支持しているが、然らばその所謂「客観的な事実関係」とは具体的に何を指示するのであるか。上告人が前記のとおり必須要領を開陳した以上に、いかなる意思表示を要し、またいかなる事実を説述しなければ上申の効果を生じないと云われるのであるか。凡そ確定申告と同時に、税務官僚の示唆(一応上告人の陳情を是認したればこそ上申書を提出せしめたのである)に基づき提出した上申書に対し税務官僚が直ちに是認を表明するが如きは常識上ありえざる事であり、要は長日月に亘る不作為(無為)による黙示の処理が問題となるのである。原判決は右の点につき裁判に理由を附せざるか、或いはその私知(PRIVATES WISSEN)により経験則に逆行して事実を判断した違法があると信じます。

第四点

原審は証拠の適格性を判断するに当り、訴訟当事者の一方が第三者の手中に在る証拠物件につき、民事訴訟法の規定に従わずして、自力を以て自由にこれが調査探究を為すことを認容し、第三者において「任意」に文書を提供する場合には法の規定する手続によらなくても合法であり、斯る証拠物には証拠適性があると判示する。しかし、上告人は右原告の判断は憲法第三一条「何人も法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奮われ又はその他の刑罰を科せられない」という所謂妥当な法の手続(DUE PROCESS OF LAW)に関する精神及び民事訴訟法第二編第三章第四節所定の手続法規の解釈を倶に誤つて判示されたもので違法であると主張する。

一、凡そ訴訟の当事者が権利闘争を競う場合、自己の有する優越なる権力地位等を奇貨とし、或いはまた背信的権道に走り、訴訟上の利益追行を企図するなきを保さないのである。然らば平等公正なる裁判を期待することができないため、法は当事者の自力救済を禁止し、国家権力による権力保護の制度を設け以て私法上の不公正な実現を克服しようとする精神が近代民事訴訟制度の基本目的であることは申すまでもない。他面、法は訴訟遂行上真実発見の標目を保持すると倶に、信義誠実の原則を涵容して個人のプライバシー(PRIVACY)を守護し(民訴法第二八〇条、同二八一条第一項二号三号等証言拒絶権に関する規定御参照)訴訟の衡平妥当を図つている。即ち基本的人権保障のためには、真実発見という訴訟法的要請のための手段も制限されることのあるべき点を表明している。

原審は第三者がその所持に係る物的証拠を「任意」に提出すれば何も文句はないと臆断するが、実はその任意が問題なのである。訴訟の繋属中、何も知らない第三者外人社交クラブに乗り込み、大阪国税局職員の肩書名刺を翳してクラブの所蔵する他人間の往復信書、計理に関する機密文書等の検閲を求めれば、税務職員なるが故にこれ等を任意に提出することは吾人の常識である。この点に関してクラブの会長であつた証人ケールは左のとおり供述している。

問(上告人)

会の議事録というものを、たとえ税務署職員が来ても、それはいわばアウトサイダーなんだから、そういう者に見せる義務があると信じて見せたのか。

国税局の役人が調査に来た場合には見せるべきだと思つてみせた。

乙第一号証(上告人に関するクラブの機密文書)を示し、

その一番しまいに「コンフイデンシヤル」とありますが、それはどういう意味ですか。コンフイデンシヤルという意味はどういう意味ですか。

確かにコンフイデンシヤルという……秘密文書であるという意味は知つておるけれども、他人に見せてはならないということは知つておるけれども国の役人が来た場合には見せざるを得ない国家の権威ですね。

私はオバタ氏から聞いたんですが、国税局の役人が三人ぐらい来て何も言わないで帳面を見せろと言われたので、一体どういう意見だか知らんけれども国税局の肩書のある三人が来たので、びつくらして見せたと、そう云うんですがその点は証人は知つておるかどうか。

とにもかくにも国税局の役人が来た場合にはもう見せるよりほかにはないと信じておると委員も信じておると思います。斯くの如くにして、上告人よりクラブに宛てた秘密文書(乙第二号証)其の他のクラブの秘密文書が次次と被上告人側に「任意」に提示された次第である。而して右文書が提出された経緯が「任意」に行われたのだから何も文句を言うなと臆断された原審の認定は一般社会の通念経験則に悖り不法不当であると主張します。

「任意」については特に民法第九六条第一項の規定を参照すべきであるが、原審は当該「任意」が税務当局の威圧又は威迫(DURESS)に因り表示されたものであるかどうかを考査し、若しそうであるとせば其の法的効果、並びにそれが証拠適格性に及ぼす連結関係を判断すべきである。これは恰も、上告人が訴外クラブが連合国財産補償法による敵国性を欠いてたのを、連合国司令部と折衝した結果遂に敵国性を承認させた場合のクラブの「任意」と同一である(甲第五号証の一・一九四八年一一月五日連合国司令部より日本国政府宛の覚書御参照)。元来クラブは敵国性を欠き、戦争中も経営を継続して来たのであるが、終戦直前に当時の軍人援護会使用のためクラブの建物明渡しを要求した。日本当局の主張によると、クラブは任意にその建物を援護会に明渡したのだから、クラブに敵国性を与える根拠とはなりえないと抗争した。しかし司令部は右明渡しは当時軍部の威圧によるものとしてクラブの任意性を否認し、上公上の主張を認容した上遂に終局においてクラブは日本国政府から戦災補償金を受領するようになつたのである。

以上述べたとおり、若し被上告人側が前記文書の提出を「妥当な法の手続」(DUE PROCESS)、即ち公正な民事訴訟法所定の規則に従つて行つたとすれば(たとえ、被上告人が権道を用いて前記機密文書をクラブが所持していることを確かめた後に、その提出方を法律所定の手続により行つたとしても)輒すくこれに成功しえなかつたことは常識である。従つて斯る権道(違法)により提出した文書は証拠として適格性を欠くものと信じます。

第五点

上告人は原審において、憲法第三一条の規定を援用し、これと関連して、一九四八年一二月一〇日国際連合総会を通過し宣言された「人権に関する世界宣言」の第七、第八及び第一二条の各規定を引用し(昭和四七年三月二七日控訴人第九準備書面)、被上告人側が行つた前記違法の証拠蒐集方法はプライバシーを含む上告人の基本的人権(憲法第一一条)を侵害する違法があるから無効であり、従つて斯して蒐集された証拠は証拠適格性を欠く旨主張したが(甲第三〇号証及び甲第三一号各証)、原審はこの点に関し何等理由を附せず判断を逸脱している。

凡そ信書の不可侵性は憲法第二一条に定められているが、特に上告人の如き弁護士の職にある者がその依頼人との間に交換する信書は開示の強制を受けない特権ある通信として保護されるのである(この点に関しハルスベリーLAWS OF ENGLAND甲第三〇号証乞御参照)。而して乙第二号証(一九五三年八月一九日付を以て上告人より訴外クラブ会長ビカール宛に発した信書)の書状上部には特に英語でSTRICTLY PRIVATE & CONFIDENTIAL(厳格なる秘密私信)と記入してあり及び乙第三号証、乙第六号証等も共にクラブより上告人宛の信書であるが、之等はみな権道を用いて被上告人より提出された書証である。故によしんば之等信書が仮りに「任意」に提示されたものだとしても、被上告人はこれを侵犯する権能を有しないのである。然るに敢て裁判所に書証として提出するが如きは憲法第二一条第二項に違反するのみならず、憲法第一七条によりたとえ権力的作用による場合であつたとしても国に於て賠償責任がある。してみると、斯くの如き不法不当な手段で提出された書証に対し適格性を否認すべきでもあるに抱らず、原審は「任意」に提出されたの一本槍に依拠し敢て此の点に関し理由を附せず判断を逸脱しているのは違法である。

以上いずれの点からみても原判決は違法であつて破毀されるべきものである。

以上

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